先日、『おひさまパン』という絵本を読みました。
絵本に出会った日から子どもたちが、おひさまパンを作りたい!!というリクエストが度々あり、みんなで作ることにしました。
その日はいろいろあり子どもたちに優しくなれなくて、怒りと悲しみが混じった、途方に暮れた感情に襲われていました。
おひさまパンをみんなでつくり始めて、段々と落ち着きを取り戻し、子どもたちに、心の底から、謝ることができました。。
おひさまパンよ、ありがとう。
東京の実家にはしばらく帰省ができず、
新たな居住地の浜松で、新たな風土に馴染んでいきながらも、まだ気を張って過ごしているわたしがいる気がします。
子どもたちは、わたしにとってのおひさまパンであり、
子どもたちにとっては、わたしはおひさまパンでもあります。
今日は広島に原爆が投下された日ですが、、
亡くなられた命が、全て誰かにとってのおひさまパンであり、尊いおひさまであったのです。。
当時の厳しい時代、そしてそれよりももっと昔、生きながらえることが日々必死だった時代に、命を繋いでこられたことが、ほんとうに奇跡の連続による今なのですね。。
そう思うと、全ての生きる命が、みな尊いおひさまであり、誰かにとっての、大切なおひさまぱんなんだなぁと、、
試行錯誤ながらの時代を生きて、さまざまなグレーゾーンを、みなそれぞれの価値観の下で、
大切な誰かのおひさまパンであるために、尊いおひさまを生きるために、それぞれのベストな選択で生きている。。
だから、いろいろな人のグレーゾーンの価値観や行動に、ムッとしたり、揶揄したり、無理矢理変えようとか、
その前に、
わたしが尊いおひさまであるために、そして大切な誰かのためのおひさまパンであるための、愛ある小さな選択を、今いるこの場所で、日々していくことそのものが、みんなのおひさまが、輝けることになっていくのかなぁ、、
などと、
おひさまパンを読んで思ったのでした。
それは、わたしへの自戒も込めての感想なのかもしれませんが、、
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